×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
辞典等の主要語義の解説
広辞苑では、次のような語義をあげている。
日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味した。
近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「Love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多用な用法が作られてきた。
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明していることが多い。
ストルゲー(英語版) στοργή storgē
キリスト教では家族愛。(古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛、であった。)
エロス έρως érōs
キリスト教では性愛。(古代ギリシアでは自己を充実させる愛、であった。)
フィーリア φιλία philía
キリスト教では隣人愛。友愛。(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。[注 1])
アガペー αγάπη agápē
キリスト教では真の愛。(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛、であった。)
自己愛
社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。
生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。
心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。
しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなど可能性もある。もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。
周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。これは、対象を愛して(気分が舞い上がりなどして)いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。
男女間・(同性愛者における)同性間の愛は、日本語においては恋という特別な言葉でも表現できる。愛とほぼ同じ意味で使われることも多い。しかし、恋は必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。植物、土地、歴史等を恋しく思う場合にも用いられる。
恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。日本語において「ラブ」「Love」は若者の言語や芸術では恋、愛両方を表す言葉として頻繁に用いられている。
サルトルによれば、情動émotionとしての怒りは非反省的意識であるのに対して、情動passonとしての憎しみは、情動に向けられた反省的意識によって構成された超越的対象である。憎しみは、怒りや反発など無数の意識に対する過去および未来にわたる一つの信任であり、これらの無数の意識の超越的統一である。しかし、日常の不純な反省にあっては、「私がかれに反発するのは憎いからだ」とこの関係は逆転され、憎しみは怒りや反発が流出する源としてとらえられる。
プラトンは、エロスは神々と人間との中間者であり、つねに欠乏し、美しいものをうかがい、智慧を欲求する偉大な精霊(ダイモン)であるという。生殖の恋も愛智としての恋も、ともに不死なるものの欲求である。恋の奥義は地上の美しいものどもの恋から出発して、しだいに地上的なるものを離れ、ついに永遠にして絶対的な美そのものを認識するに至ることにある
広辞苑では、次のような語義をあげている。
- 親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。
- 男女間の愛情。恋愛。
- 大切にすること。かわいがること。めでること。
- 〔キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー。
- 〔仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる。
日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味した。
近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「Love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多用な用法が作られてきた。
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明していることが多い。
ストルゲー(英語版) στοργή storgē
キリスト教では家族愛。(古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛、であった。)
エロス έρως érōs
キリスト教では性愛。(古代ギリシアでは自己を充実させる愛、であった。)
フィーリア φιλία philía
キリスト教では隣人愛。友愛。(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。[注 1])
アガペー αγάπη agápē
キリスト教では真の愛。(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛、であった。)
自己愛
社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。
生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。
心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。
しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなど可能性もある。もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。
周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。これは、対象を愛して(気分が舞い上がりなどして)いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。
男女間・(同性愛者における)同性間の愛は、日本語においては恋という特別な言葉でも表現できる。愛とほぼ同じ意味で使われることも多い。しかし、恋は必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。植物、土地、歴史等を恋しく思う場合にも用いられる。
恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。日本語において「ラブ」「Love」は若者の言語や芸術では恋、愛両方を表す言葉として頻繁に用いられている。
サルトルによれば、情動émotionとしての怒りは非反省的意識であるのに対して、情動passonとしての憎しみは、情動に向けられた反省的意識によって構成された超越的対象である。憎しみは、怒りや反発など無数の意識に対する過去および未来にわたる一つの信任であり、これらの無数の意識の超越的統一である。しかし、日常の不純な反省にあっては、「私がかれに反発するのは憎いからだ」とこの関係は逆転され、憎しみは怒りや反発が流出する源としてとらえられる。
プラトンは、エロスは神々と人間との中間者であり、つねに欠乏し、美しいものをうかがい、智慧を欲求する偉大な精霊(ダイモン)であるという。生殖の恋も愛智としての恋も、ともに不死なるものの欲求である。恋の奥義は地上の美しいものどもの恋から出発して、しだいに地上的なるものを離れ、ついに永遠にして絶対的な美そのものを認識するに至ることにある
PR
陰陽(いんよう)とは、中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。
このような陰陽に基づいた思想や学説を陰陽思想、陰陽論、陰陽説などと言い、五行思想とともに陰陽五行説を構成した。
概要
原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。
受動的な性質、能動的な性質に分類する。具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。
重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。
展開
陰と陽とはもともと天候と関係する言葉であり、陰は曇りや日影、陽は日差しや日向の意味として『詩経』などの古書に表れる。『春秋左氏伝』昭公元年に天の六気として陰・陽・風・雨・晦・明とあり、ここで陰陽は寒暑の要因と考えられ、また昭公四年には陰・陽・風・雨が季節を特徴づける気候の要因として扱われている。さらに『管子』幼官では明確に春の燥気・夏の陽気・秋の湿気・冬の陰気として寒暑の原因とされるとともに四季(四時)の気候が変化する要因として扱われている。これがやがて四時の気を統轄する上位概念となり、さらには万物の生成消滅と言った変化全般を司る概念、万物の性質を二元に分類する概念へと昇華されたと考えられる。
陰証
陰証とは、生体反応が沈滞、減弱している病情。裏証、寒証、虚証がある。主な症状として顔面蒼白、気分が沈うつして活気がない、言葉が少ない、手足を縮める、悪寒や冷えを訴える、舌質は淡胖が多い、脈は遅弱細微がある。
陽証
陽証とは、生体反応が発揚、増強している病情。表証、熱証、実証がある。主な症状として顔面紅潮、活気がある、言葉が多い、手足を伸ばす、炎症、充血、発熱、舌質は紅が多い、脈は浮数滑洪実がある。
八卦
八卦(はっけ、はっか)は、古代中国から伝わる易における8つの基本図像。
卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順である。また八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦が作られる。
乾(けん)
天・健・馬・首・父・君などを象徴する。方角としては北西の方角になり、戌(いぬ)と亥(い)の間であることから乾は「いぬい」とも読まれる。
納甲では甲、五行の木、五方の東、または壬、五行の水、五方の北に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は一であり、方位は四正卦の一つで南に配される。陰陽消息は陽が極まったところである。
坤(こん)
地・順・牛・腹・母・婦徳・胃・補佐役・鈍重・大衆・迷いなどを象徴する。方位としては西南、すなわち地支の未と申の間、ひつじさるを示す。
納甲では乙、五行の木、五方の東、または癸、五行の水、五方の北に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は八であり、方位は四正卦の一つで北に配される。陰陽消息は陰が極まったところである。
震(しん)
原義は最も下(創め)に一陽が生じて、限りなく前進する様子。ここから始動の時・雷・龍・足・長男・若い男性・聴覚・肝臓・代謝などを象徴する。方位としては東(地支では卯)を示す。現代社会では電信電話・高速通信など。時に嘘つきにもなる。
納甲では庚、五行の金、五方の西が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は四であり、方位は四隅卦の一つで北東に配される。陰陽消息は一陽が生じたところである。
巽(そん)
風(木)・入・鶏・股・長女(結婚適齢期の女性)・縁談・長いもの一切・血管・毛髪・小腸・大腸・気管支・伏入・呼吸器などを象徴する。方位としては東南(地支の辰巳間)を示す。
納甲では辛、五行の金、五方の西が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は五であり、方位は四隅卦の一つで西南に配される。陰陽消息は一陰が生じたところである。
坎・戡(かん)
原義は「外陽にして中は陰」。外側に陰柔の卦があるが、内部は陽剛である。「中に何かがある」と捉え水・陥・豕・耳・秘密・姦計・色情・専門性・交渉・冷静・重病・中男などを象徴する。方位としては北(地支では子)を示す。実際の占断で坎の卦がでると病勢は重症か、かなりの困難を考えなければいけない。
納甲では戊、五行の土、五方の中に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は六であり、方位は四正卦の一つで西に配される。陰陽消息は二陰で巽卦に次ぐ。
離(リ)
外側に陽剛の卦、内側に陰柔の卦がある。原義は「一見明るいが中は暗い」。また「二つのものが一つをはさんで向かい合う」である。即ち火・麗・雉・目・心臓・乳房・華やかさ・中女・別離対立・紛争・外見・赤(紫)色などを象徴する。方位としては南(地支では午)を示す。
納甲では己、五行の土、五方の中が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は三であり、方位は四正卦の一つで東に配される。陰陽消息は二陽で震卦に次ぐ。
艮(ごん)
山・止・狗・手・少男・相続・関節・骨格・節度などを象徴する。方位としては東北(地支では丑と寅の間)を示す。急激に暗闇から明るくなる時間帯(1時から5時まで)なので停止・再出発・つなぎめの意味もある。
納甲では丙、五行の火、五方の南が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は七であり、方位は四隅卦の一つで西北に配される。陰陽消息は二陰で陰が極まる坤卦の一歩手前である。
兌(ダ)
説卦伝によると兌卦は沢・少女・説(よろこぶ)・羊・口・西などを象徴する。方位としては西(地支では酉)を示す。納甲では丁、五行の火、五方の南が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は二であり、方位は四隅卦の一つで南東に配される。陰陽消息は二陽で陽が極まる乾卦の一歩手前である。
麗沢は兌なり。君子以て朋友講習す(象伝) - 並んでいる沢が互いに潤し合っているように君子も友人と議論を交わしつつ学び、お互いを高め合う。
このような陰陽に基づいた思想や学説を陰陽思想、陰陽論、陰陽説などと言い、五行思想とともに陰陽五行説を構成した。
概要
原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。
受動的な性質、能動的な性質に分類する。具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。
重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。
展開
陰と陽とはもともと天候と関係する言葉であり、陰は曇りや日影、陽は日差しや日向の意味として『詩経』などの古書に表れる。『春秋左氏伝』昭公元年に天の六気として陰・陽・風・雨・晦・明とあり、ここで陰陽は寒暑の要因と考えられ、また昭公四年には陰・陽・風・雨が季節を特徴づける気候の要因として扱われている。さらに『管子』幼官では明確に春の燥気・夏の陽気・秋の湿気・冬の陰気として寒暑の原因とされるとともに四季(四時)の気候が変化する要因として扱われている。これがやがて四時の気を統轄する上位概念となり、さらには万物の生成消滅と言った変化全般を司る概念、万物の性質を二元に分類する概念へと昇華されたと考えられる。
陰証
陰証とは、生体反応が沈滞、減弱している病情。裏証、寒証、虚証がある。主な症状として顔面蒼白、気分が沈うつして活気がない、言葉が少ない、手足を縮める、悪寒や冷えを訴える、舌質は淡胖が多い、脈は遅弱細微がある。
陽証
陽証とは、生体反応が発揚、増強している病情。表証、熱証、実証がある。主な症状として顔面紅潮、活気がある、言葉が多い、手足を伸ばす、炎症、充血、発熱、舌質は紅が多い、脈は浮数滑洪実がある。
八卦
八卦(はっけ、はっか)は、古代中国から伝わる易における8つの基本図像。
卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順である。また八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦が作られる。
乾(けん)
天・健・馬・首・父・君などを象徴する。方角としては北西の方角になり、戌(いぬ)と亥(い)の間であることから乾は「いぬい」とも読まれる。
納甲では甲、五行の木、五方の東、または壬、五行の水、五方の北に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は一であり、方位は四正卦の一つで南に配される。陰陽消息は陽が極まったところである。
坤(こん)
地・順・牛・腹・母・婦徳・胃・補佐役・鈍重・大衆・迷いなどを象徴する。方位としては西南、すなわち地支の未と申の間、ひつじさるを示す。
納甲では乙、五行の木、五方の東、または癸、五行の水、五方の北に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は八であり、方位は四正卦の一つで北に配される。陰陽消息は陰が極まったところである。
震(しん)
原義は最も下(創め)に一陽が生じて、限りなく前進する様子。ここから始動の時・雷・龍・足・長男・若い男性・聴覚・肝臓・代謝などを象徴する。方位としては東(地支では卯)を示す。現代社会では電信電話・高速通信など。時に嘘つきにもなる。
納甲では庚、五行の金、五方の西が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は四であり、方位は四隅卦の一つで北東に配される。陰陽消息は一陽が生じたところである。
巽(そん)
風(木)・入・鶏・股・長女(結婚適齢期の女性)・縁談・長いもの一切・血管・毛髪・小腸・大腸・気管支・伏入・呼吸器などを象徴する。方位としては東南(地支の辰巳間)を示す。
納甲では辛、五行の金、五方の西が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は五であり、方位は四隅卦の一つで西南に配される。陰陽消息は一陰が生じたところである。
坎・戡(かん)
原義は「外陽にして中は陰」。外側に陰柔の卦があるが、内部は陽剛である。「中に何かがある」と捉え水・陥・豕・耳・秘密・姦計・色情・専門性・交渉・冷静・重病・中男などを象徴する。方位としては北(地支では子)を示す。実際の占断で坎の卦がでると病勢は重症か、かなりの困難を考えなければいけない。
納甲では戊、五行の土、五方の中に当てられる。
伏羲先天八卦における次序は六であり、方位は四正卦の一つで西に配される。陰陽消息は二陰で巽卦に次ぐ。
離(リ)
外側に陽剛の卦、内側に陰柔の卦がある。原義は「一見明るいが中は暗い」。また「二つのものが一つをはさんで向かい合う」である。即ち火・麗・雉・目・心臓・乳房・華やかさ・中女・別離対立・紛争・外見・赤(紫)色などを象徴する。方位としては南(地支では午)を示す。
納甲では己、五行の土、五方の中が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は三であり、方位は四正卦の一つで東に配される。陰陽消息は二陽で震卦に次ぐ。
艮(ごん)
山・止・狗・手・少男・相続・関節・骨格・節度などを象徴する。方位としては東北(地支では丑と寅の間)を示す。急激に暗闇から明るくなる時間帯(1時から5時まで)なので停止・再出発・つなぎめの意味もある。
納甲では丙、五行の火、五方の南が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は七であり、方位は四隅卦の一つで西北に配される。陰陽消息は二陰で陰が極まる坤卦の一歩手前である。
兌(ダ)
説卦伝によると兌卦は沢・少女・説(よろこぶ)・羊・口・西などを象徴する。方位としては西(地支では酉)を示す。納甲では丁、五行の火、五方の南が当てられる。
伏羲先天八卦における次序は二であり、方位は四隅卦の一つで南東に配される。陰陽消息は二陽で陽が極まる乾卦の一歩手前である。
麗沢は兌なり。君子以て朋友講習す(象伝) - 並んでいる沢が互いに潤し合っているように君子も友人と議論を交わしつつ学び、お互いを高め合う。
生薬とは、天然物から有効成分を単離せずに用いる薬を指すが、その中にはヒトに由来する生薬も存在する。本稿では、それらの生薬について説明する。
頭髪
「髪髲」:加美、曽里加美、乱髪(髪を梳いて得られたもの)、久志計豆里加美
乱髪霜(黒焼きにしたもの)(現代の日本でも使用例が見られる)
体内の余分な水分を排出する作用(利水道)、止血作用
応用:五癃(一般的な5種類の尿路疾患)、大人痓(大人の破傷風による剛直様症状)、小児驚癇(子供のひきつけ)、大小便の不通、霍乱(激しい下痢や嘔吐)。
漢方処方:髪灰散(髪を焼いた灰)、無憂散(当帰、川芎、白芍薬、枳殻、乳香、木香、甘草、髪灰)、乱髪膏などの処方。
また現代の中医学では血余炭として使用。
髭
「髭須」:加美豆比介、之毛豆比介、宇和比計、志多比計
癰瘡(化膿したできもの)、大小便の不通、子供のひきつけ、鼻血止め(灰にしたものを用いる)
陰毛
「陰毛」:豆比気、末良計
男性の陰毛:蛇に咬まれた時に陰毛20本を含ませその汁を飲んで毒を退ける効果、横生逆産(胎児が出産時に頭から出ない)の難産時に夫の陰毛27本を焼き、猪膏(イノシシの脂)と混ぜて大豆程度の大きさにしたものを飲ませると効果。
女性の陰毛は:五淋(糖尿病や膀胱炎などの計五種類の尿路疾患"石淋、気淋、膏淋、労淋、熱淋"を指す)および陰陽易病(男を陽、女を陰とし、男女の性交から生じる病)に用いる。
爪
「爪甲」:豆女、豆米
利小便(利尿)や催生(陣痛促進)
応用例:淋病や脚気、胞衣不下(胎盤が降りてこない症状)、鼻血。
頭垢
「頭垢」:雲脂、「加之良乃安加、加志良乃阿加
応用例:労疫(結核など)、蠱毒(虫を用いた呪術)鬼魅(鬼や化け物によると考えられた病)の治療、緊唇(唇を強く閉ざした状態)、赤目腫痛など
耳垢
「耳塞」:癲癇やアルコール依存症のほか、蛇などに咬まれた際に使用。
膝頭の垢
「膝頭垢」:焼いた垢を塗ることで唇緊瘡の治療に用いる。
一般の骨
「人骨」:「保禰、比登乃保禰
骨病や骨折、瘡(感染性の皮膚病)に効果。
頭蓋骨
「天霊蓋」:脳蓋骨、仙人蓋、比止加之良保禰志也礼加宇倍之保禰。
応用例:傳尸や疰尸(労虫によって感染すると考えられていた肺病の類)、肺痿(肺結核)、鬼気(死人の邪気)、盗汗(寝汗)など。
歯
「牙歯」:波、岐波
除労(疲れを除く)作用、応用例として瘧(マラリア)、蠱毒、痘瘡(天然痘)などに使用。
歯垢
「歯垽」:波加須美
竹木刺(竹木による刺し傷)や蜂螫(蜂刺され)に用いる。
母乳
「乳汁」:仙人酒、知、知志留。
作用には、補五臓(心臓、肝臓、腎臓、脾臓、肺を活発化させる)、益気(気を養う)、潤毛髪(髪を艶やかにする)、滋養(栄養をつける)
応用例:中風不語(脳卒中後の言語症)や目赤痛多涙(涙が多く、眼が赤く腫れて痛む)、月経不順。
なお西洋の民間療法では、眼の怪我に塗布して用いるほか、滋養目的で肝臓や腎臓の疾患、神経痛、熱病に服用させる例が報告されている
唾液
口津唾:霊液、神水、豆波岐
明目(眼の諸症状の改善)、消腫(腫れを引かせる)、解毒の作用
応用例:明目退翳(眼の諸症状や角膜の濁りを除く)や瘡腫(かさぶた状のできもの)、毒蛇咬(毒蛇に噛まれた場合)。
なお、西洋の民間療法では、毛髪の脱毛を促す作用があるとされるほか、胃酸過多、頭痛、咽頭炎などに使用するとされた。
精液
「人精」:滅瘢(傷痕を消す)作用、湯火瘡(やけど)や金瘡出血(切り傷による出血)のほか、瘤など。
涙
「眼涙」:効能は記されていない。
汗
「人汗」:効能は記されていない。
尿
「人尿」:輪回酒、由波利、比登乃由波利。なお、十歳以下の男児の尿は「童便」と呼ばれ、佳(優れて良い)とされる。
潤肌膚(皮膚に潤いを与える)、滋養、止血、解毒などの作用
応用:於血、吐血、鼻血、喉痛、下痢、打撲、難産、蛇犬咬(蛇や犬に噛まれた傷)。
なお、西洋の民間薬としては毒蛇に噛まれた場合に服用するほか、ハンセン氏病や皮膚の湿疹などに外用された。
「溺白」:尿を溜める壷に生じる沈殿物、人中白。
解毒や止血の効能
応用例:鼻血、吐血、脚気、肺痿(肺結核)など。
「尿抗泥」:尿を溜める壷に生じる泥状物質。
蜂蠍虫咬(蜂や蠍に咬まれた時)や喉痺(喉の痺れ)に使用。
「秋石」:人中白(溺白)を加工したものと、偽造品である食塩から作るものの2種類が存在し、前者を「淡秋石」と呼び、後者は「鹹秋石」。「淡秋石」の主成分は尿酸カルシウムやリン酸カルシウムである一方、「鹹秋石」は塩化ナトリウムが主成分である。
滋養強壮作用
応用:喀血、淋病、咽頭腫痛、水腫など。
漢方処方:秋石交感丹、秋石五精丸(蓮肉、白茯苓、秋石、川椒、茴香)
大便
「人屎」:久曽、比登乃久曽。
解毒作用
応用:産後陰脱(産後の子宮脱)、蛇咬(蛇に咬まれた時)、痘瘡(天然痘)、鼻血。
水戸光圀の命により編纂された救民妙薬の、"河豚の毒を解す妙薬"の項には人糞を用いる方法が記されている。便壷の底に蓄積される泥状物質を「糞坑底泥」。発背(身長の発育)、悪瘡(悪性のできもの)に適用。
「人中黄」:甘草黄
甘草の粉末を人糞に混ぜて(或いは竹筒に入れた甘草の粉末を肥溜めに漬けて)作成。解熱や解毒作用
応用例:丹毒(細菌性皮膚疾患)や傷寒熱病(チフスの類)、吐痰など。
漢方処方:化斑解毒湯(知母、黄連、連翹、人中黄、升麻、石膏、甘草、牛蒡子、玄参)
「小児胎屎」:新生児の胎便。悪瘡(悪性のできもの)や鬼舐頭(円形脱毛症)に適用
経血
「夫人月水」:佐波利、女乃月乃毛乃、紅鉛。
解毒箭(毒矢傷の解毒)や女労復(過労により病気が再発した女性)。
経血の付着した布を「月経衣」。
霍乱(激しい下痢や嘔吐)や黄疸、陰瘡(陰部の皮膚疾患)に適用。
血液
「人血」:皮肉乾枯(乾燥肌)や狂犬咬(狂犬に咬まれた時)に用いる。
胆石
「人癖石」:牟祢乃也末伊乃加多末里伊志。
消硬癖(凝結物を除く)や噎膈(食道のつかえ)。
尿路結石
「淋石」:由波里也末伊乃祢里伊志。
噎病吐食(喉のつかえによる嘔吐)や石淋(尿路結石)。
胎盤
「人胞」:胎衣、紫河車、比登乃恵那。
安心(心を落ち着かせる)、益気、補精(精をおぎなう)効果
応用:不妊や労損、癲癇など。
漢方処方:河車丸(紫河車、白茯苓、人参、山薬)や大造丸(紫河車、当帰、黄柏、杜仲、牛膝、生地黄、砂仁、白茯苓、天門冬、麦門冬、人参)。
「人胞」を埋めて得られる水を「胎衣水」。小児丹毒(子供の細菌性皮膚疾患)や狂言妄語の適用。
へその緒
「初生臍帯」:保曽乃禰。
瘧(マラリア)や胎毒(新生児や乳幼児の顔面に出る湿疹)に適用。
ミイラ
「木乃伊」:岐乃也仁乃禰利久須利、美伊良。
悪血(下腹部の血行不良)に効果、骨折や労咳(結核)、吐血、虫歯、淋病など。
人肉
「人肉」:瘵疾(結核)に効能。
中国では宋の時代以降、両親や舅、姑の病気には、自身やその妻が内股の肉を切り取って薬膳とするのが最大の孝行とされた。
内臓
ヒトの五臓の1つ、心臓
「人膽」:鬼気(死人の邪気)、尸疰(肺病の一種)、久瘧(マラリヤ)、金瘡(切り傷)に適用。江戸時代には「人胆丸」という生胆を用いた薬が実際に販売。
陰茎
「人勢」:創口不合(傷口がつかない状態)や下蠶室に適用。
魄(はく)(肉体を支える気)
「人魄」:『本草綱目』曰く、「縊死した人の下には麩炭の如き物があり、すぐに掘らなければ深く潜っていく。これを除かなければ、必ずまた同じ場所で縊死者が出るだろう。これは人の魄であり、魄は地面に入って物となる。」とある。
鎮心(心を安定化させる)、安神魄(精神や魄を落ち着かせる)などの効能。
気
「人気」:下元虚冷(漢方医学において、腎気が弱った状態)、凡人身體骨節痺痛(骨関節部の痺痛)、鼻衄金瘡(鼻血の出血)など
頭髪
「髪髲」:加美、曽里加美、乱髪(髪を梳いて得られたもの)、久志計豆里加美
乱髪霜(黒焼きにしたもの)(現代の日本でも使用例が見られる)
体内の余分な水分を排出する作用(利水道)、止血作用
応用:五癃(一般的な5種類の尿路疾患)、大人痓(大人の破傷風による剛直様症状)、小児驚癇(子供のひきつけ)、大小便の不通、霍乱(激しい下痢や嘔吐)。
漢方処方:髪灰散(髪を焼いた灰)、無憂散(当帰、川芎、白芍薬、枳殻、乳香、木香、甘草、髪灰)、乱髪膏などの処方。
また現代の中医学では血余炭として使用。
髭
「髭須」:加美豆比介、之毛豆比介、宇和比計、志多比計
癰瘡(化膿したできもの)、大小便の不通、子供のひきつけ、鼻血止め(灰にしたものを用いる)
陰毛
「陰毛」:豆比気、末良計
男性の陰毛:蛇に咬まれた時に陰毛20本を含ませその汁を飲んで毒を退ける効果、横生逆産(胎児が出産時に頭から出ない)の難産時に夫の陰毛27本を焼き、猪膏(イノシシの脂)と混ぜて大豆程度の大きさにしたものを飲ませると効果。
女性の陰毛は:五淋(糖尿病や膀胱炎などの計五種類の尿路疾患"石淋、気淋、膏淋、労淋、熱淋"を指す)および陰陽易病(男を陽、女を陰とし、男女の性交から生じる病)に用いる。
爪
「爪甲」:豆女、豆米
利小便(利尿)や催生(陣痛促進)
応用例:淋病や脚気、胞衣不下(胎盤が降りてこない症状)、鼻血。
頭垢
「頭垢」:雲脂、「加之良乃安加、加志良乃阿加
応用例:労疫(結核など)、蠱毒(虫を用いた呪術)鬼魅(鬼や化け物によると考えられた病)の治療、緊唇(唇を強く閉ざした状態)、赤目腫痛など
耳垢
「耳塞」:癲癇やアルコール依存症のほか、蛇などに咬まれた際に使用。
膝頭の垢
「膝頭垢」:焼いた垢を塗ることで唇緊瘡の治療に用いる。
一般の骨
「人骨」:「保禰、比登乃保禰
骨病や骨折、瘡(感染性の皮膚病)に効果。
頭蓋骨
「天霊蓋」:脳蓋骨、仙人蓋、比止加之良保禰志也礼加宇倍之保禰。
応用例:傳尸や疰尸(労虫によって感染すると考えられていた肺病の類)、肺痿(肺結核)、鬼気(死人の邪気)、盗汗(寝汗)など。
歯
「牙歯」:波、岐波
除労(疲れを除く)作用、応用例として瘧(マラリア)、蠱毒、痘瘡(天然痘)などに使用。
歯垢
「歯垽」:波加須美
竹木刺(竹木による刺し傷)や蜂螫(蜂刺され)に用いる。
母乳
「乳汁」:仙人酒、知、知志留。
作用には、補五臓(心臓、肝臓、腎臓、脾臓、肺を活発化させる)、益気(気を養う)、潤毛髪(髪を艶やかにする)、滋養(栄養をつける)
応用例:中風不語(脳卒中後の言語症)や目赤痛多涙(涙が多く、眼が赤く腫れて痛む)、月経不順。
なお西洋の民間療法では、眼の怪我に塗布して用いるほか、滋養目的で肝臓や腎臓の疾患、神経痛、熱病に服用させる例が報告されている
唾液
口津唾:霊液、神水、豆波岐
明目(眼の諸症状の改善)、消腫(腫れを引かせる)、解毒の作用
応用例:明目退翳(眼の諸症状や角膜の濁りを除く)や瘡腫(かさぶた状のできもの)、毒蛇咬(毒蛇に噛まれた場合)。
なお、西洋の民間療法では、毛髪の脱毛を促す作用があるとされるほか、胃酸過多、頭痛、咽頭炎などに使用するとされた。
精液
「人精」:滅瘢(傷痕を消す)作用、湯火瘡(やけど)や金瘡出血(切り傷による出血)のほか、瘤など。
涙
「眼涙」:効能は記されていない。
汗
「人汗」:効能は記されていない。
尿
「人尿」:輪回酒、由波利、比登乃由波利。なお、十歳以下の男児の尿は「童便」と呼ばれ、佳(優れて良い)とされる。
潤肌膚(皮膚に潤いを与える)、滋養、止血、解毒などの作用
応用:於血、吐血、鼻血、喉痛、下痢、打撲、難産、蛇犬咬(蛇や犬に噛まれた傷)。
なお、西洋の民間薬としては毒蛇に噛まれた場合に服用するほか、ハンセン氏病や皮膚の湿疹などに外用された。
「溺白」:尿を溜める壷に生じる沈殿物、人中白。
解毒や止血の効能
応用例:鼻血、吐血、脚気、肺痿(肺結核)など。
「尿抗泥」:尿を溜める壷に生じる泥状物質。
蜂蠍虫咬(蜂や蠍に咬まれた時)や喉痺(喉の痺れ)に使用。
「秋石」:人中白(溺白)を加工したものと、偽造品である食塩から作るものの2種類が存在し、前者を「淡秋石」と呼び、後者は「鹹秋石」。「淡秋石」の主成分は尿酸カルシウムやリン酸カルシウムである一方、「鹹秋石」は塩化ナトリウムが主成分である。
滋養強壮作用
応用:喀血、淋病、咽頭腫痛、水腫など。
漢方処方:秋石交感丹、秋石五精丸(蓮肉、白茯苓、秋石、川椒、茴香)
大便
「人屎」:久曽、比登乃久曽。
解毒作用
応用:産後陰脱(産後の子宮脱)、蛇咬(蛇に咬まれた時)、痘瘡(天然痘)、鼻血。
水戸光圀の命により編纂された救民妙薬の、"河豚の毒を解す妙薬"の項には人糞を用いる方法が記されている。便壷の底に蓄積される泥状物質を「糞坑底泥」。発背(身長の発育)、悪瘡(悪性のできもの)に適用。
「人中黄」:甘草黄
甘草の粉末を人糞に混ぜて(或いは竹筒に入れた甘草の粉末を肥溜めに漬けて)作成。解熱や解毒作用
応用例:丹毒(細菌性皮膚疾患)や傷寒熱病(チフスの類)、吐痰など。
漢方処方:化斑解毒湯(知母、黄連、連翹、人中黄、升麻、石膏、甘草、牛蒡子、玄参)
「小児胎屎」:新生児の胎便。悪瘡(悪性のできもの)や鬼舐頭(円形脱毛症)に適用
経血
「夫人月水」:佐波利、女乃月乃毛乃、紅鉛。
解毒箭(毒矢傷の解毒)や女労復(過労により病気が再発した女性)。
経血の付着した布を「月経衣」。
霍乱(激しい下痢や嘔吐)や黄疸、陰瘡(陰部の皮膚疾患)に適用。
血液
「人血」:皮肉乾枯(乾燥肌)や狂犬咬(狂犬に咬まれた時)に用いる。
胆石
「人癖石」:牟祢乃也末伊乃加多末里伊志。
消硬癖(凝結物を除く)や噎膈(食道のつかえ)。
尿路結石
「淋石」:由波里也末伊乃祢里伊志。
噎病吐食(喉のつかえによる嘔吐)や石淋(尿路結石)。
胎盤
「人胞」:胎衣、紫河車、比登乃恵那。
安心(心を落ち着かせる)、益気、補精(精をおぎなう)効果
応用:不妊や労損、癲癇など。
漢方処方:河車丸(紫河車、白茯苓、人参、山薬)や大造丸(紫河車、当帰、黄柏、杜仲、牛膝、生地黄、砂仁、白茯苓、天門冬、麦門冬、人参)。
「人胞」を埋めて得られる水を「胎衣水」。小児丹毒(子供の細菌性皮膚疾患)や狂言妄語の適用。
へその緒
「初生臍帯」:保曽乃禰。
瘧(マラリア)や胎毒(新生児や乳幼児の顔面に出る湿疹)に適用。
ミイラ
「木乃伊」:岐乃也仁乃禰利久須利、美伊良。
悪血(下腹部の血行不良)に効果、骨折や労咳(結核)、吐血、虫歯、淋病など。
人肉
「人肉」:瘵疾(結核)に効能。
中国では宋の時代以降、両親や舅、姑の病気には、自身やその妻が内股の肉を切り取って薬膳とするのが最大の孝行とされた。
内臓
ヒトの五臓の1つ、心臓
「人膽」:鬼気(死人の邪気)、尸疰(肺病の一種)、久瘧(マラリヤ)、金瘡(切り傷)に適用。江戸時代には「人胆丸」という生胆を用いた薬が実際に販売。
陰茎
「人勢」:創口不合(傷口がつかない状態)や下蠶室に適用。
魄(はく)(肉体を支える気)
「人魄」:『本草綱目』曰く、「縊死した人の下には麩炭の如き物があり、すぐに掘らなければ深く潜っていく。これを除かなければ、必ずまた同じ場所で縊死者が出るだろう。これは人の魄であり、魄は地面に入って物となる。」とある。
鎮心(心を安定化させる)、安神魄(精神や魄を落ち着かせる)などの効能。
気
「人気」:下元虚冷(漢方医学において、腎気が弱った状態)、凡人身體骨節痺痛(骨関節部の痺痛)、鼻衄金瘡(鼻血の出血)など
カニバリズム(英: cannibalism)は、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは宗教儀礼としてのそのような習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジー(英: anthropophagy)ともいう。
なお、文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的飢餓状態下の緊急避難的な場合や精神異常による食人を含まない。また、生物学用語では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。転じて、マーケティング用語で自社の製品やブランド同士が市場を食い合う状況を指す。
文化人類学による説明
特定の社会では、対象の肉を摂取することにより、自らに特別な効果または栄誉が得られると信じられている場合がある。しばしばその社会の宗教観、特にトーテミズムと密接に関係しており、食文化というよりも文化人類学・民俗学に属する議題である。自分の仲間を食べる族内食人と、自分達の敵を食べる族外食人に大別される。
族内食人の場合には、死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがあると指摘される。すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるという考えである。すべての肉体を土葬・火葬にしてしまうと、現世に何も残らなくなるため、これを惜しんでの行いと見ることができる。
族外食人の場合には、復讐など憎悪の感情が込められると指摘される。また族内食人同様、被食者の力を自身に取り込もうとする意図も指摘される。
なお、タンパク質の供給源が不足している(していた)地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られたニューギニア島は他の地域と比べ豚などの家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった。
薬用としての人肉食
死者の血肉が強壮剤や媚薬になるとする考えも欧州はじめ世界中に見られ、これは族内食人の一環として説明する研究者もいる。人間のミイラには一種の漢方薬として不老不死の薬効があると信じられていて、主に粉末としたものが薬として飲用され、日本にも薬として輸出されていた。また中国や日本では肝臓や脳などを薬にして摂取していた。現在でも胎盤は健康や美容のために食される。
緊急事態下での人肉食
緊急避難の一環として古今東西しばしば見られる。近年の大規模な例としては1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故が挙げられ、遭難した乗客らは、死亡した乗客の死体の肉を食べることで、救助されるまでの72日間を生き延びた。このような事例は厳密にはカニバリズムには含まれないが、しかし常習化すればカニバリズムと捉えることができる。
例として、1846年アメリカ合衆国において、開拓者のキャラバン・ドナー隊のシエラ・ネバダ山脈山中トラッキー湖畔における遭難事故は、遭難の発覚までに既に隊の中で死亡者を食べるという緊急避難措置が行われていた。さらに悪天候や当時の救助技術により完了するまでに長期間、数回に分けての救助となった。ところが、最後の被救出者は、先の救出作業の際に渡されていた牛の干し肉があったにもかかわらず、共に残った婦人の肉を食べていた。これは緊急避難が人肉嗜食に転じた典型例である。彼はその婦人の殺害を疑われたが証拠不十分で放免された。
人肉嗜食
人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為タブーである食のタブーとされる。そしてタブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られる。
またカニバリズムはしばしば性的な幻想をもって受け止められ、またそのようなフェティシズムを持つ者も多数存在する。
パリ人肉事件がある。犯人の佐川一政は自著の中で、女生徒の肉を「まったり」と「おいしい」と記述し被害者に憎しみはなく憧れの対象であり、事件時の精神状態は性的幻想の中にあったと記述している。
スペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人」の遺骨から、この先史人類たちが人肉を食べており、しかも、とりわけ子どもの肉を好んでいたことが明らかになった。遺骨などの分析によると、食人は、儀式としてではなく食用で行われていた。当時、食料や水は豊富にあり、イノシシやウマ、シカの狩猟も可能であり、食料不足で食人が行われたのではなく、敵対する相手を殺し、その肉を食べたと言われている。
肉を食べたわけではないが、1805年のトラファルガー海戦で戦死したイギリス海軍のホレーショ・ネルソン提督の遺体は、腐敗を防ぐためラム酒の樽に漬けて本国に運ばれたが、偉大なネルソンにあやかろうとした水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽は空っぽになっていたという。この逸話からラム酒は「ネルソンの血」と呼ばれることがある。
アメリカ大陸では宗教的儀礼として広く人身御供が行われていた。アステカ文明では生きた状態の生贄から黒曜石のナイフで心臓を抉り取り、神に捧げていた。そして体の部分は投げ落として切り刻み、トウモロコシとともに煮込んで食された。食すことが許されたのは上流階級のみだった。
日本には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事(『神道集』)をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。
随筆『新著聞集』では、元禄年間に増上寺の僧が葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。
確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。
薬としての人間の内臓
人間の内臓が、民間薬として食されていたという記録がある。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。
1870年(明治3)年4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞など)。作家の長谷川時雨は明治中期の話として「肺病には死人の水-火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している。
昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていたことが新聞で報道されている。
このような人間の内臓が薬として利用されていたことについては、いまだ明らかにされてはいないが、曲直瀬道三の養子曲直瀬玄朔は医学書『日用食性』の中で、獣肉を羹(具がメインのスープ)、煮物、膾、干し肉として食すればさまざまな病気を治すと解説しており、肉食が薬事とみなされていたことを示しているし、また漢方薬(東洋医学)においては、熊の胆は胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があるといわれ、金と同程度の価値がある高価な薬品だった。江戸中期の古方派の医師後藤艮山は熊胆丸を処方して手広く売り出したといわれる。また中国からこのような薬学的な考えがつたわったともされる。
また現在でも、胎盤が健康や美容によいとして世界各地で食されている。
骨かみ
葬儀の場面でお骨を食べる社会文化的儀礼または風習としての「骨かみ」は、現在も各地に残っている。確認されている地域では、愛知県三河地方西部、兵庫県淡路島南部、愛媛県越智郡大島、新潟県糸魚川市。長寿を全うした死者や人々に尊敬されていた人物などが被食対象となっていることから、死者の生命力や生前の能力にあやかろうとする素朴な感情が根底にあるとみられる。最愛の配偶者の遺骨をかむことは、強い哀惜の念からと思われ、これらは素朴な感情表出として受けとめられている。
中国
小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであった。中国が他文化の食人と比べ異質なのは、食人が精神異常行為・宗教的行為・飢餓時の緊急避難行為などではなく、きわめて日常的な食文化として根づいていたとする。膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している。
古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)」という記述が見られる。もっともこの「醢(かい)」なる言葉は塩漬け全般を指す語でもあり、獣肉の料理を指すこともあれば、見せしめのために塩で防腐した遺体を指すこともあり、必ずしも人肉食を指さない。
黄文雄は食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であるとし、また、孔子がかなりの人肉好きだったとする。
小室直樹は「孔子は人肉を好んでいた」「当時の食人は中国社会ではごく自然な行為であった」という説を支持している。小室によれば、この食人と纏足、科挙の三つは、日本に全く伝わらず、また日本人はそれらを全く理解できないと言っている。
小室は孔子のエピソード以外に、名君といわれた斉の桓公が「自分はいろんなものを食べてきたけどまだ人間の赤ん坊を食べたことがないな」と言ったのを聞きつけた料理人の易牙が自分の子供を調理して桓公を満足させたことをあげ、この桓公と易牙の有名な件を儒家も道家もまったく非難していない(つまり中国社会では道徳違反にあたらない)と指摘している。また三国志では劉備が支援者の民家に宿泊した際、その家の主人が自分の夫人を殺害して調理もてなし、劉備が「感動」したという話を紹介し、「中国社会で親戚を殺して調理しもてなし料理とすることは、最高の礼儀でさえあった」としている。ただし、この小室の意見は一般庶民の間で家庭料理的に人肉が食べられていた居た事の証明にはならず、最高の礼儀だった根拠は無い。また、同小説の原文には「不勝傷感」とあり、「感動」したのではなく、心を痛めて堪え切れず涙を流しているという文脈であり、正確ではない。
明の時代の李時珍による『本草綱目』人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。
なお、現在の中国では食人はタブーとされており、違法である。
ただし、近年でも人肉を薬として信じ、滋養強壮や若返りの効果があると信じて服用されているケースがある。
家畜のカニバリズム
肉食の習慣や、いわゆる「共食い」とは違うが、豚の「尾かじり」や「耳かじり」・鶏の「尻突き」など、群れで飼育する家畜・家禽同士で、傷ついたり弱ったりした個体を(口を使って)集団で攻撃し、結果として死に至らせる行動も畜産学・動物行動学上では「カニバリズム」と呼ばれている。これらの行動は環境探索本能の転嫁と密飼いによるストレスが原因と言われており、遊具等の投入による欲求不満の解消や飼育密度の低減によってある程度の抑制が可能である。また近年では、畜産物残渣の再利用という名目で肉骨粉などを飼料に混ぜることもあり、家畜が人間によって意識しない形でカニバリズムをさせられる形となり、BSE(狂牛病)という感染症を発生させる結果となった。
自然界でのカニバリズム
cannibalismを動物が同種の他個体を食べる共食い(種内捕食:intraspecies predation)の訳語としてとる場合、共食いはアリやシロアリ等の社会性昆虫では頻繁に見られ、食料欠乏の場合には、幼虫・成虫が卵やさなぎを捕食する(飢餓状態に置かれれば、チョウの幼虫などの草食動物も共食いをする)。繁殖のためではなく、幼生に栄養を補給する目的で無精卵(栄養卵 Trophic Egg と呼ばれる)を産む行動は、カエル、ハキリアリ(Atta sexdens)、クモなどに見られる。無脊椎動物や魚類など、成体と幼生(あるいは大きさの著しく異なる雄と雌)が同じ地域(同じ生物群集内)に生息する雑食動物や肉食動物の間では、食物ピラミッドの中では小さな個体が大きな個体の下に位置するため、カニバリズムが頻繁に起こりうる。そのような場合、カニバリズムが個体群数の周期的変動につながる例も多い。
カニバリズムは無脊椎動物や魚類、両生類だけではなく鳥類や哺乳類等の高等動物にも見られる行動であり、チンパンジーの子殺しに伴う共食いなどのように霊長類も例外ではない。自然状態での家畜とは異なるストレス以外のカニバリズムの理由としては、えさとしての価値に重点がある場合と同種個体を殺すことに重点がある場合、その両方を兼ねる場合があるが、チンパンジーの例ではその意義が未だよく解明されていない。
フィクションにおけるカニバリズム
古来より、カニバリズムは説話や童話・民話などでもモチーフになっている。
ほか マルキ・ド・サド『食人国旅行記』、フローベール『サランボー』、H・G・ウェルズ『タイムマシン』、エドガー・アラン・ポー『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』などがある(その他は参考資料を参照)。
美術でもゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』などがある。
なお、文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的飢餓状態下の緊急避難的な場合や精神異常による食人を含まない。また、生物学用語では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。転じて、マーケティング用語で自社の製品やブランド同士が市場を食い合う状況を指す。
文化人類学による説明
特定の社会では、対象の肉を摂取することにより、自らに特別な効果または栄誉が得られると信じられている場合がある。しばしばその社会の宗教観、特にトーテミズムと密接に関係しており、食文化というよりも文化人類学・民俗学に属する議題である。自分の仲間を食べる族内食人と、自分達の敵を食べる族外食人に大別される。
族内食人の場合には、死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがあると指摘される。すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるという考えである。すべての肉体を土葬・火葬にしてしまうと、現世に何も残らなくなるため、これを惜しんでの行いと見ることができる。
族外食人の場合には、復讐など憎悪の感情が込められると指摘される。また族内食人同様、被食者の力を自身に取り込もうとする意図も指摘される。
なお、タンパク質の供給源が不足している(していた)地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られたニューギニア島は他の地域と比べ豚などの家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった。
薬用としての人肉食
死者の血肉が強壮剤や媚薬になるとする考えも欧州はじめ世界中に見られ、これは族内食人の一環として説明する研究者もいる。人間のミイラには一種の漢方薬として不老不死の薬効があると信じられていて、主に粉末としたものが薬として飲用され、日本にも薬として輸出されていた。また中国や日本では肝臓や脳などを薬にして摂取していた。現在でも胎盤は健康や美容のために食される。
緊急事態下での人肉食
緊急避難の一環として古今東西しばしば見られる。近年の大規模な例としては1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故が挙げられ、遭難した乗客らは、死亡した乗客の死体の肉を食べることで、救助されるまでの72日間を生き延びた。このような事例は厳密にはカニバリズムには含まれないが、しかし常習化すればカニバリズムと捉えることができる。
例として、1846年アメリカ合衆国において、開拓者のキャラバン・ドナー隊のシエラ・ネバダ山脈山中トラッキー湖畔における遭難事故は、遭難の発覚までに既に隊の中で死亡者を食べるという緊急避難措置が行われていた。さらに悪天候や当時の救助技術により完了するまでに長期間、数回に分けての救助となった。ところが、最後の被救出者は、先の救出作業の際に渡されていた牛の干し肉があったにもかかわらず、共に残った婦人の肉を食べていた。これは緊急避難が人肉嗜食に転じた典型例である。彼はその婦人の殺害を疑われたが証拠不十分で放免された。
人肉嗜食
人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為タブーである食のタブーとされる。そしてタブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られる。
またカニバリズムはしばしば性的な幻想をもって受け止められ、またそのようなフェティシズムを持つ者も多数存在する。
パリ人肉事件がある。犯人の佐川一政は自著の中で、女生徒の肉を「まったり」と「おいしい」と記述し被害者に憎しみはなく憧れの対象であり、事件時の精神状態は性的幻想の中にあったと記述している。
スペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人」の遺骨から、この先史人類たちが人肉を食べており、しかも、とりわけ子どもの肉を好んでいたことが明らかになった。遺骨などの分析によると、食人は、儀式としてではなく食用で行われていた。当時、食料や水は豊富にあり、イノシシやウマ、シカの狩猟も可能であり、食料不足で食人が行われたのではなく、敵対する相手を殺し、その肉を食べたと言われている。
肉を食べたわけではないが、1805年のトラファルガー海戦で戦死したイギリス海軍のホレーショ・ネルソン提督の遺体は、腐敗を防ぐためラム酒の樽に漬けて本国に運ばれたが、偉大なネルソンにあやかろうとした水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽は空っぽになっていたという。この逸話からラム酒は「ネルソンの血」と呼ばれることがある。
アメリカ大陸では宗教的儀礼として広く人身御供が行われていた。アステカ文明では生きた状態の生贄から黒曜石のナイフで心臓を抉り取り、神に捧げていた。そして体の部分は投げ落として切り刻み、トウモロコシとともに煮込んで食された。食すことが許されたのは上流階級のみだった。
日本には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事(『神道集』)をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。
随筆『新著聞集』では、元禄年間に増上寺の僧が葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。
確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。
薬としての人間の内臓
人間の内臓が、民間薬として食されていたという記録がある。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。
1870年(明治3)年4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞など)。作家の長谷川時雨は明治中期の話として「肺病には死人の水-火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している。
昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていたことが新聞で報道されている。
このような人間の内臓が薬として利用されていたことについては、いまだ明らかにされてはいないが、曲直瀬道三の養子曲直瀬玄朔は医学書『日用食性』の中で、獣肉を羹(具がメインのスープ)、煮物、膾、干し肉として食すればさまざまな病気を治すと解説しており、肉食が薬事とみなされていたことを示しているし、また漢方薬(東洋医学)においては、熊の胆は胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があるといわれ、金と同程度の価値がある高価な薬品だった。江戸中期の古方派の医師後藤艮山は熊胆丸を処方して手広く売り出したといわれる。また中国からこのような薬学的な考えがつたわったともされる。
また現在でも、胎盤が健康や美容によいとして世界各地で食されている。
骨かみ
葬儀の場面でお骨を食べる社会文化的儀礼または風習としての「骨かみ」は、現在も各地に残っている。確認されている地域では、愛知県三河地方西部、兵庫県淡路島南部、愛媛県越智郡大島、新潟県糸魚川市。長寿を全うした死者や人々に尊敬されていた人物などが被食対象となっていることから、死者の生命力や生前の能力にあやかろうとする素朴な感情が根底にあるとみられる。最愛の配偶者の遺骨をかむことは、強い哀惜の念からと思われ、これらは素朴な感情表出として受けとめられている。
中国
小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであった。中国が他文化の食人と比べ異質なのは、食人が精神異常行為・宗教的行為・飢餓時の緊急避難行為などではなく、きわめて日常的な食文化として根づいていたとする。膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している。
古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)」という記述が見られる。もっともこの「醢(かい)」なる言葉は塩漬け全般を指す語でもあり、獣肉の料理を指すこともあれば、見せしめのために塩で防腐した遺体を指すこともあり、必ずしも人肉食を指さない。
黄文雄は食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であるとし、また、孔子がかなりの人肉好きだったとする。
小室直樹は「孔子は人肉を好んでいた」「当時の食人は中国社会ではごく自然な行為であった」という説を支持している。小室によれば、この食人と纏足、科挙の三つは、日本に全く伝わらず、また日本人はそれらを全く理解できないと言っている。
小室は孔子のエピソード以外に、名君といわれた斉の桓公が「自分はいろんなものを食べてきたけどまだ人間の赤ん坊を食べたことがないな」と言ったのを聞きつけた料理人の易牙が自分の子供を調理して桓公を満足させたことをあげ、この桓公と易牙の有名な件を儒家も道家もまったく非難していない(つまり中国社会では道徳違反にあたらない)と指摘している。また三国志では劉備が支援者の民家に宿泊した際、その家の主人が自分の夫人を殺害して調理もてなし、劉備が「感動」したという話を紹介し、「中国社会で親戚を殺して調理しもてなし料理とすることは、最高の礼儀でさえあった」としている。ただし、この小室の意見は一般庶民の間で家庭料理的に人肉が食べられていた居た事の証明にはならず、最高の礼儀だった根拠は無い。また、同小説の原文には「不勝傷感」とあり、「感動」したのではなく、心を痛めて堪え切れず涙を流しているという文脈であり、正確ではない。
明の時代の李時珍による『本草綱目』人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。
なお、現在の中国では食人はタブーとされており、違法である。
ただし、近年でも人肉を薬として信じ、滋養強壮や若返りの効果があると信じて服用されているケースがある。
家畜のカニバリズム
肉食の習慣や、いわゆる「共食い」とは違うが、豚の「尾かじり」や「耳かじり」・鶏の「尻突き」など、群れで飼育する家畜・家禽同士で、傷ついたり弱ったりした個体を(口を使って)集団で攻撃し、結果として死に至らせる行動も畜産学・動物行動学上では「カニバリズム」と呼ばれている。これらの行動は環境探索本能の転嫁と密飼いによるストレスが原因と言われており、遊具等の投入による欲求不満の解消や飼育密度の低減によってある程度の抑制が可能である。また近年では、畜産物残渣の再利用という名目で肉骨粉などを飼料に混ぜることもあり、家畜が人間によって意識しない形でカニバリズムをさせられる形となり、BSE(狂牛病)という感染症を発生させる結果となった。
自然界でのカニバリズム
cannibalismを動物が同種の他個体を食べる共食い(種内捕食:intraspecies predation)の訳語としてとる場合、共食いはアリやシロアリ等の社会性昆虫では頻繁に見られ、食料欠乏の場合には、幼虫・成虫が卵やさなぎを捕食する(飢餓状態に置かれれば、チョウの幼虫などの草食動物も共食いをする)。繁殖のためではなく、幼生に栄養を補給する目的で無精卵(栄養卵 Trophic Egg と呼ばれる)を産む行動は、カエル、ハキリアリ(Atta sexdens)、クモなどに見られる。無脊椎動物や魚類など、成体と幼生(あるいは大きさの著しく異なる雄と雌)が同じ地域(同じ生物群集内)に生息する雑食動物や肉食動物の間では、食物ピラミッドの中では小さな個体が大きな個体の下に位置するため、カニバリズムが頻繁に起こりうる。そのような場合、カニバリズムが個体群数の周期的変動につながる例も多い。
カニバリズムは無脊椎動物や魚類、両生類だけではなく鳥類や哺乳類等の高等動物にも見られる行動であり、チンパンジーの子殺しに伴う共食いなどのように霊長類も例外ではない。自然状態での家畜とは異なるストレス以外のカニバリズムの理由としては、えさとしての価値に重点がある場合と同種個体を殺すことに重点がある場合、その両方を兼ねる場合があるが、チンパンジーの例ではその意義が未だよく解明されていない。
フィクションにおけるカニバリズム
古来より、カニバリズムは説話や童話・民話などでもモチーフになっている。
- 赤ずきん
- かちかち山
- 強盗のおむこさん
- 百槇の話
ほか マルキ・ド・サド『食人国旅行記』、フローベール『サランボー』、H・G・ウェルズ『タイムマシン』、エドガー・アラン・ポー『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』などがある(その他は参考資料を参照)。
美術でもゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』などがある。
くすぐり(擽り)とは、人の皮膚表面を刺激して「くすぐったい」感覚を与え「笑わせる」ことをいう。
くすぐったいメカニズム
くすぐったいと感じる場所は、一般に耳の周辺、首筋、脇の下、手の甲、もものつけね、膝の裏、足の甲や裏など、動脈が皮膚に近いところを通っている部位である。こうした部分は万一怪我をすると多量の出血を伴いかねない「危険部位」で、そのため付近には自律神経も集まって、外部からの刺激に対しては特に敏感になっている。この自律神経と密接な関係にある小脳では、こうした危険部位への刺激に対する予測と、それに対する感覚の制御を行っている。したがって自分でそうした部位をくすぐってみても、その刺激は小脳の予測どおりなので、小脳が感覚を制御するため違和感が生じない。ところが他人にくすぐられると小脳はこれを予測することができないので、感覚の制御は不能として脳は混乱状態に陥る。その不快な感覚が「くすぐったい」という感覚であり、そうした「生命にとっての危機かもしれない」と錯覚された状態から逃れようとする自律神経の過剰反応が「笑い」にあたる。
性的なくすぐり
「くすぐりフェティシズム」も参照
このように「危険部位」を他人に触れさないようにするのは人の本能に拠るものだが、逆にそれをあえて許すことは厚い信頼や愛情の証となる。したがって許諾の上でのくすぐりは、時に性的快楽になる場合がある。
くすぐりのいろいろ
くすぐりフェティシズム(Tickling fetishism)は性的フェティシズムの一種で、相手をくすぐることで強制的に笑わせ、肉体的精神的苦痛を与える行為への執着を指す。またくすぐられることによって性的快感を得ること好む性癖も含む。パラフィリアに属するが、欧米で定着した名称のためにフェティシズムの名称で記載する。
概要
脇の下や脇腹、足の裏などをくすぐられると、多くの人間は強制的に笑いが誘導され呼吸困難に陥る。連続してくすぐられると肉体的な苦痛は(強制的に笑わされる体力の消耗も含めて)相当なものである。過去には拷問にも用いられたとされ、日本においては「くすぐられ過ぎると死ぬ」という俗説が根強く信じられている。 本来苦しいだけのはずのくすぐり行為だが、くすぐられることによって性的快感を得られる者もいる。
BDSMの分野においてはハーモニー社などのフェティッシュビデオを制作していたメーカーがTickling(くすぐり)というジャンル名で販売していた。下着姿の女性同士が片方を拘束してくすぐる、あるいは互いにくすぐり合う、といった内容のこれらのビデオには性行為がいっさい登場せず、延々と4、50分くすぐられる半裸の女性しか映っていない。またくすぐられるという行為のため女優は大声で笑うだけで、悩ましい喘ぎ声は少なく性的興奮を傍目では理解しづらい。そのため日本での愛好者は非常に希で、欧米でも少数派の嗜好と言える。
注意
SMプレイにおいては、拘束した上で行なうことも多く、実際にくすぐられるとまともな言葉を発することは困難になる。またプレイとしてパートナーと行なう場合には、雰囲気を楽しむために「だめ」「やめて」などの否定的な言葉はたいがい無視される。そうした場合本当に「だめ」で「やめて」ほしい場合でも(この場合呼吸困難で酸欠症状が起こっても)パートナーが行為をやめない場合がある。そのためプレイ前にセーフワード、もしくはサインを決めておき、適切にプレイを止める方法を確保しておく必要がある。
くすぐったいメカニズム
くすぐったいと感じる場所は、一般に耳の周辺、首筋、脇の下、手の甲、もものつけね、膝の裏、足の甲や裏など、動脈が皮膚に近いところを通っている部位である。こうした部分は万一怪我をすると多量の出血を伴いかねない「危険部位」で、そのため付近には自律神経も集まって、外部からの刺激に対しては特に敏感になっている。この自律神経と密接な関係にある小脳では、こうした危険部位への刺激に対する予測と、それに対する感覚の制御を行っている。したがって自分でそうした部位をくすぐってみても、その刺激は小脳の予測どおりなので、小脳が感覚を制御するため違和感が生じない。ところが他人にくすぐられると小脳はこれを予測することができないので、感覚の制御は不能として脳は混乱状態に陥る。その不快な感覚が「くすぐったい」という感覚であり、そうした「生命にとっての危機かもしれない」と錯覚された状態から逃れようとする自律神経の過剰反応が「笑い」にあたる。
性的なくすぐり
「くすぐりフェティシズム」も参照
このように「危険部位」を他人に触れさないようにするのは人の本能に拠るものだが、逆にそれをあえて許すことは厚い信頼や愛情の証となる。したがって許諾の上でのくすぐりは、時に性的快楽になる場合がある。
くすぐりのいろいろ
- しゃっくりを止める方法としてくすぐりが用いられることがある。
- かつては拷問の一つとしてくすぐりが行われたこともあった。
- 親子・友人でスキンシップに用いられる事もある。
くすぐりフェティシズム(Tickling fetishism)は性的フェティシズムの一種で、相手をくすぐることで強制的に笑わせ、肉体的精神的苦痛を与える行為への執着を指す。またくすぐられることによって性的快感を得ること好む性癖も含む。パラフィリアに属するが、欧米で定着した名称のためにフェティシズムの名称で記載する。
概要
脇の下や脇腹、足の裏などをくすぐられると、多くの人間は強制的に笑いが誘導され呼吸困難に陥る。連続してくすぐられると肉体的な苦痛は(強制的に笑わされる体力の消耗も含めて)相当なものである。過去には拷問にも用いられたとされ、日本においては「くすぐられ過ぎると死ぬ」という俗説が根強く信じられている。 本来苦しいだけのはずのくすぐり行為だが、くすぐられることによって性的快感を得られる者もいる。
BDSMの分野においてはハーモニー社などのフェティッシュビデオを制作していたメーカーがTickling(くすぐり)というジャンル名で販売していた。下着姿の女性同士が片方を拘束してくすぐる、あるいは互いにくすぐり合う、といった内容のこれらのビデオには性行為がいっさい登場せず、延々と4、50分くすぐられる半裸の女性しか映っていない。またくすぐられるという行為のため女優は大声で笑うだけで、悩ましい喘ぎ声は少なく性的興奮を傍目では理解しづらい。そのため日本での愛好者は非常に希で、欧米でも少数派の嗜好と言える。
注意
SMプレイにおいては、拘束した上で行なうことも多く、実際にくすぐられるとまともな言葉を発することは困難になる。またプレイとしてパートナーと行なう場合には、雰囲気を楽しむために「だめ」「やめて」などの否定的な言葉はたいがい無視される。そうした場合本当に「だめ」で「やめて」ほしい場合でも(この場合呼吸困難で酸欠症状が起こっても)パートナーが行為をやめない場合がある。そのためプレイ前にセーフワード、もしくはサインを決めておき、適切にプレイを止める方法を確保しておく必要がある。